« 反骨精神 | トップページ | 被弾跡 »

2012年3月16日 (金)

記念艦 「三笠」

Dpp_1824

横須賀の市街地横に存在する三笠公園にその雄姿は存在しました。

全長120mと予習してはいたのですが、何故か私の想定よりコンパクトに見えたのは、バルチック艦隊を相手に旗艦としてその存在を知らしめ、東条平八郎や秋山真之が乗船していたイメージから、勝手な誇大した印象を抱いていたからでしょう。

三笠が存在している事を知り、その姿を見るまでに一年かかりましたが、その間に日露戦争について深堀していた事で予習は万全となりました。

Dpp_1830
艦尾からみた三笠。艦尾に掲げられた軍艦旗が当時の勇士を彷彿とさせます。

残念ながら三笠は接岸後に周りをコンクリートで固められており、水面に浮かぶ本当の姿を見る事は出来ません。この影響もあり、本物が持つ迫力が半減していました。

Dpp_1833
船主に掲げられた菊の御紋。これはレプリカで、本物は内部のガラスケースに保管されています。三笠は日本が英国に製造依頼した軍艦ですが、このシンボル一つで”大日本帝国”を象徴する軍艦に変貌する程のインパクトがあります。
Dpp_1851

2門の主砲が火を噴く振動と音はいかほどの物だったのでしょうか。三笠は当時のオリジナルは4割で、6割は募金にて復旧したレプリカと聞きました。

甲板から上部は敗戦後、再び使用出来ない様に主砲からマストまで全て撤去されてしまったそうです。その時の写真も掲載されていましたが、何とダンスホールが甲板上に作られていた愚かさ。

鉄くずと化しかかっていた三笠を見た、英国大使が歴史的文化財の重要性を説き、修復の呼びかけが募金の形になりここまで復旧出来たそうです。

Dpp_1855
艦首には東郷平八郎が一歩も動かず、足跡だけが濡れずに残っていたと言われる場所です。最前に東郷指令長官、その左後ろに秋山参謀、右後ろに加藤参謀長、コンパスの前が伊地知艦長と、その立ち位置がプレートで表示されています。

Dpp_1867

東郷平八郎の目線から見た艦首。

当時の彼らの思いを重ねずにはいられません。負けば日本はロシアの支配下に置かれ、日本国民は無慈悲な略奪や殺戮に晒される。まさに自らの命を捧げるに等しい思いで彼らは戦ってくれました。

その雄姿を我々日本人は決して忘れてはいけません。

« 反骨精神 | トップページ | 被弾跡 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 記念艦 「三笠」:

« 反骨精神 | トップページ | 被弾跡 »

フォト
無料ブログはココログ