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2012年12月27日 (木)

パールハーバー2012 vol.1

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日本軍が奇襲攻撃を行い、太平洋戦争に突き進んだ愚かな歴史を知るために、3回目のハワイ旅行で漸く、パールハーバーを訪れる事が出来ました。

上記写真はパールハーバーの入り口ゲートです。テロ対策の為、鞄は数ドル払い右手の小屋で預けなくてはなりません。撮影禁止かと思いカメラも渡した所、撮影は問題ないとのことでカメラは持ち込めました。家族4人だと荷物預かりだけで、約10ドルを徴収されました。

また、パールハーバーはワイキキから数キロだと考えていた所、結構な距離があり、ジャンクションからのルートも少々コツがいるので、辿り着くまでに苦労しました。レンタカーで簡単に立ち寄ってとはいきませんので、半日以上を潰すつもりでスケジュールを組む必要が有ります。

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入り口脇に掲げられた看板。パールハーバーは対岸と2ヶ所に展示が分かれている様で、我々が訪れたのはサブマリンが係留されているパークでした。対岸には戦艦が沈んでいる様子が見られ、今でも時折油が浮き出ているとのことでした。
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パーク内の掲示。パーク内を散策するには入場料などの料金は一切かかりません。倉庫内の展示を見るには別途料金が必要。

平日でしたが多くの観光客が訪れていました。日本人は我が家のみと言った所で、ほぼ米国人。掲示も全て英語で書かれており、日本語表示は一切無し。必死に解読しますが、どこまで理解出来たのか。
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湾の周りには当時の風景が掲げられています。日曜日の早朝、この場所で米国籍の軍艦が炎上し沈没していった訳です。凄まじい光景だった事でしょう。

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こちらは日本地図。東京、広島、長崎、沖縄のみが明記されています。なぜこの地名が刻まれているかは言わずもがなですね。

その下に”硫黄島”の文字が有る事に驚きました。栗原忠道陸軍大将が死闘を繰り広げた、米国海軍史に残る最激戦地だけに、IWO JIMAは米国軍人にとっては知らない者はいないのではないでしょうか。

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この地図、ゲートをくぐった正面脇の床に描かれています。

太平洋戦争の拠点となった国や島の名が記されています。
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パールハーバーミュージアムとは呼ばれていますが、この様な巨大な施設がこの地に存在する事に疑問を感じます。

広島の原爆ドームと同じく、人間の愚業を再び生じさせないためにも、拭い去れない過去を形として後世に残す事には意味が有りますが、広島のそれは対象を”原爆”にしており、本来投下を行った米国を対象とすべきですが、米国の属国となった日本はそれをしていません。

このパールハーバーの展示は、善は米で、悪は全て”ジャップ”である卑怯な日本人。私も家族もこのパークを訪れ重い空気を感じました。米国人の極端な世論や一方的な物の考えは怖いと思います。

当時の日本は事実上の宣戦布告状であるハルノートによって開戦に踏み切りましたが、徹底的に追い込んで逃げ場を失わせたのは誰なのか。このパークを訪れると世界から見た日本人が良く理解出来ます。

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コメント

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。

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