
解体か保存か論議を呼んだ南三陸町 防災対策庁舎。遺族の強い意向を尊重して解体が決定したと公表されていました。
既に存在しない物として訪れたので、その姿を目の当たりにして驚きました。併設した建物も有った様ですが基礎を残して無くなっています。この建物は南三陸さんさん商店街から車で5分ほどの距離に位置します。

実際に鉄骨のみとなった建物を見上げると、この建物全てを飲み込んだ津波の猛威に戦慄を覚えます。海を見る事が出来ないほど海岸線から離れていますが、15mを超える津波が地鳴りと共にここまで襲ってきた訳ですから、もはやなすすべは有りません。
職員の皆さんが屋上のアンテナにしがみ付き、お互いを助け合っていた姿が目に焼き付いていますが、皮肉な事にアンテナは全く被害を受けずにその姿を留めています。

階段の手すりは波の勢いで一定方向へ曲がっており、内装や設備機器なども見事に無くなってしまっています。

鉄骨のCチャンと外壁パネルを波が打ち破ったため、ほぼ建物が水没した状況においても、鉄骨の支柱は曲がらずに水圧を逃れた様です。
起訴は打ったばかりの様に綺麗で、支柱にも損傷は見られません。倒壊を免れたこの建物なら、津波の水位があと1mでも低ければ職員の皆さんの尊い命は救われたのかもしれません。

既に近くに存在した病院は解体されて更地になっており、防災対策庁舎がぽつんと平地に立っています。到底素通り出来ず、皆さん前方の敷地に車を停められ、献花台で手を合わせていました。
ご遺族の方にとっては震災の悲劇を彷彿とさせるこの建物を、一刻も早く撤去してほしいと望まれているそうです。誰しもこの地で肉親を失っていれば同様に考えると思います。
しかし、周期的に自然の猛威は襲って来ます。過去の惨劇を忘れないためにも、広島の原爆ドームと同様にこの建物は保存すべきではないでしょうか。
誰しもこの建物の前に立てば、信じられない津波の高さを信じるしかなくなります。
周辺の建物は爆心地と等しく完全に町が消滅し、2年半の時間の経過と共に雑草が生い茂っています。遠方に見える白いRC造の建物は宿泊施設でしたが、庁舎と同様に3、4階まで津波によって破壊されていました。
本当にここは日本なのかと、日頃の私たちの生活と比較せずにはいられません。